愛情協海外視察
ペナン島 in マレーシア

Up date Dec. 6, 2000
   

00.jpgペナン島
マレーシア3日目は予定した研修もひとまず終了したとして、1日ペナン島観光を企画した。 早朝の飛行機に乗るため、早めの朝食を済ませて空港へ向かう。 ペナン島は、クアラルンプールから飛行機で約45分マレー半島の北西にある淡路島の半分程の広さ。 南北24km、東西15kmの、亀が首を少し引っ込めた様な形をしている。人口は約60万人、「ペナン」とはマレー語で「檳榔樹(びんろうじゅ)」のこと。島に沢山の檳榔樹が茂っていたことからこの名前で呼ばれるようになった。ペナン国際空港は島の南東部にあり到着後チャーターバスで、 北に30分ほどの涅槃仏寺院に向かった。  上の写真はクアラルンプールから空港に向かう高速道路の風景

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タイ語で書かれた涅槃仏寺院の門
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涅槃仏で知られる涅槃仏寺院

nehanbutu.jpg 全長33mの涅槃仏で知られるタイ仏教寺院。地元では「リクライニング・ブッタ」または「スリーピング・ブッタ」の名で親しまれている。1845年に建立された当時、このあたりにはタイ人の集落があった。カラフルな猿神やドラゴンの像が建つ前庭を抜けて道内に入ると、金箔の衣をまとった巨大な涅槃仏が横たわっている。この姿はお釈迦様が入滅前に悟りを開き、涅槃の境地に達したことを表すもの。 涅槃仏の前には座禅を組んだ修行僧のミイラが安置されており、「自分の体の悪い部分と同じ所に 金箔を張れば治る」というタイの信仰に従って、人々が張り付けた金箔で前身が覆われていた。


04.jpgコーンウォリス要塞
島の北東部の町ジョージタウンにはペナン島の8割の人が暮らしている言う。イギリス入植当時の 国王ジョージ3世にちなんで名付けられたこの町には、イギリス植民地時代に建てられた コロニアル様式の建物が今でも多く残っている。東インド会社のフランシス・ライトが1786年、 最初に上陸した場所がここ。
「コーンウォリス」とは当時の東インド会社総督の名前。 05.jpg 1805年に木造の砦から、煉瓦造りの要塞に立て直されたが、かっては事務所、礼拝堂、宿舎も あった。中には「スリ・ランバイ」と呼ばれるオランダ製の大砲が於かれている。元はジョーホールに追われたスルタンが所有していたもので、大砲にふれると子宝に恵まれると伝えられている。 ペナン島での海水浴を期待して、スイミングパンツなど用意して行ったが、雨季にあたるこの時期は、雨で流される赤土のせいか海岸の水は濁っていて、そんな気分にはなれなかった。

露天の果物屋

折角ここまで来たのだから、珍しいトロピカルフルーツを食べようと、町中で見つけた露天に 寄ってみた。今の時期の果物は端境期にあって、マンゴスチンやランプータン等を見つけることは 出来なかったが、果物の王様と言われるドリアンを試すことにした。 ZENさんはこれまで行った、タイやインドネシアで何度も食べて居るが、今回同行したメンバー には、ドリアンは初めてと言う人が多かった。 ドリアン まずビックリするのは周りのトゲトゲ。 馴れない日本人にはとても痛くて持てない。次は匂いだ!。何とも体験したことのない匂いに 誰もが一瞬ためらう。 売り子さんがナイフで割ってくれた中から、白い粘体に覆われた実を手で取り、こわごわ口に入れる。思ったより甘くて口の中でとろけるような不思議な味に、ついお代わり を取る。最初臭いと思った匂いは、一口食べてからは、気にならなくなる。 食べ終わって車に戻り、一瞬ゲップが出たら、自分でも分かるドリアンのあの匂いを感じた。 この匂いを他人に浴びせたら、いやがられることは間違いないと思った。 でも、やっぱり果物の王様と言われるだけあって、食べている間のおいしさは格別であった。

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早朝にクアラルンプールを出て、ペナン島で1日を過ごし、夕刻またクアラルンプールへ戻ってきた。空港から市内へ向かう片側3車線の広い道路も、活気のあるマレーシアらしく道路一杯の車で溢れている。空港から50kmの道のりは、延々と自然渋滞が続いていた。夕闇迫る前方に、世界一のペトロナス・ツインタワーとKLタワーが我々の帰りを待っていてくれた。今回我々の泊まった ホテルは、このツインタワーの隣に位置するマンダリン・オリエンタル・クアラルンプールなので 遠くからでも位置を確認しやすかった。