東洋のマチュピチュ
マイントピア別子東平ゾーン

Up date Aug. 12, 2010
 大正5年から昭和5年までの間、標高750mの山中にある東平は、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、 探鉱に関わる人達の社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に採鉱が休止するまで 大勢の人達の働く町として大変な賑わいをみせていた。その頃、活躍していたレンガ造りの建物群は いかにも、マチュピチュの景観に似た雰囲気が残っている所から、東洋のマチュピチュとして、最近 多くの観光客を集めている。また当時の歴史文化を残すために資料館や銅をテーマにした展示、 マイン工房などの施設を建設してある。折からの夏休みとあって、多くの観光客が訪れていた。
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東平ゾーン案内板 東平貯鉱庫跡(マチュピチュに似た景観)
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東平貯鉱庫跡(マチュピチュに似た景観) 東平から新居浜市内を望む
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東平ゾーン展望所 東平貯鉱庫跡(マチュピチュに似た景観)
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家族 家族
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昔の東平ゾーン地図 30kgの銅鉱石の重さを担ぐZENさん
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全盛時の東平ゾーンの写真パネル 東平歴史資料館