苗字の移動と家紋の変遷
古き氏族が次第に繁衍し、多くの苗字に分かれて各地に居住せしは、
凡そ平安時代後期以後のことに属せり。
諸国の武士団の発生も、此の時代のことにして領有する土地を相傳して他に移動することは極めて少なかりき。
武家政治の始まりて以来、各地の氏族が祖宗の地を離れ、
他國に居住するに至りしこと頗る多くなれり。
これを歴史的に見るに、凡そ五つの時期に分かつことを得べし。
第一は鎌倉幕府の草創と、承久の乱の処理により、東國の御家人が奥州へ、
或いは、九州、中国へ移り、初期に於いて自らは鎌倉府にありしが、やがて
その領地に移住するに至りし時期なり。
一族家人を引き連れて移りしが為、数多くの氏族が、諸国に移動せり。
第二は元弘、建武以来の南北朝動乱の時期なり。
足利尊氏、北畠顕家、新田一族、征西将軍の家臣などの動きを見るに、
中央より西國、九州へ、、東國、北國より南海、西海へ、
東海、関東より奥州へ、山陰、北陸より四国、九州へなど、
数次に分かれて夥しき武族、苗字の移動ありしこと、史実に明らかなり。
第三は応仁の乱に続く戦國時代の時期なり。
下剋上による権力の交替は、各地に頻出し、もと同僚たりし氏族は、
新主に服せずして隣國、遠國に赴く。
その最たるは北條早雲の東遷と、斉藤道三の簒奪なれど、浦上、
宇喜多氏の動き、龍造寺、鍋島氏の経緯、三好、松永氏の交替などによりて、
この頃にも幾多の氏族が南北に奔り、東西に移りて、遂に一城の攻防に際し、
両陣営に同姓同族のある例、多くの文献に見るものなり。
第四は豊臣政権以後、徳川時代を通じての大名の改易、移封、
國替に伴う氏族の移動あり。
土地を領有して父子は旧地にとどまり、弟庶は領主と共に新知の土地に赴く、
或いは又、領主の娘などが他国に嫁入りする際、
選ばれてその附人となりて共に遠國に行き、そのまま新主の家臣となる例も、
決して少なからず。
斯くて同氏同紋の流れが、意外な知に存在するに到ること多し。
第五は明治維新以後の移動にして、最早領地、
領民というものが消滅せし後なれば、各氏各様に東京に出で、
大阪に赴くなどの例、見聞尚新しきものあり。
昭和二十年以後は尚更著しきものと言うを得べし。
家紋に関しても、その変遷の歴史は誠に複雑なるものあり。
歴史的に複雑なるものあり。
歴史的に有名なる氏族にありては、その用うる家紋も古来一定せるもの多けれど、
将軍家などより拝領せし家紋を以後の正紋とし、古来のものを裏紋、
替紋とせし家も少なからず。或いは本家と別家の別も少なからず。
或いは本家と別家、別家の中にても古きと新しきとあるを、
それぞれ区別せむが為に、丸を附し、図柄を分割し、位置角度を変更するなどあり。
極端なる例として、上位或いは大身の家より養子を迎え、
又は嫁を取りし場合に発生するを見る。
すなわち日常使用する笠、提燈、合羽などには、すべて実家、生家の定紋を付し、
己が世代となりて以後は、一家悉くその新しき家紋を使用せしめ、
遂に旧来の家紋を忘失するに到る。
中には宗旨を変更し、菩提寺、墓所を新たなる所にする事もあり。
斯くして、それぞれの家傳経歴に複雑するものあるべし。
本書に記する所、渉らざるを遺憾とするものなり。
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